トップ > 町の紹介 > 町の歴史 > 町のあゆみ

町のあゆみ

町名の由来

アイヌ語のサルまたはシャルより転訛したもので、いずれも「アシの生えているところ」の意味です。

知床とともに歩んだ斜里130年物語

知床とともに歩んだ斜里120年物語

夜明け前

現在の斜里に人が住み始めたのはおよそ3万年前。先土器時代と呼ばれ、石器の形式が大陸北部のものと共通点が多く、北ヨーロッパからシベリアを経て、北海道北東部にわたる北アジア文化圏の一端を形成していました。
奈良朝から平安朝の頃、大陸方面からオホーツク海沿岸を南下してきた海洋民族がおりましたが、この民族の文化は従来の北海道には見られなかった系統のものでオホーツク文化と称せられています。宗谷に上陸した彼らはオホーツク海沿岸を東進し、北千島に至る過程で斜里町にも多くの遺跡を残しています。
アイヌ文化期の初期には、まだいかなる民族の支配も受けず、大陸との交易は宗谷、樺太を通して行われていました。

北の黒船

寛政元年(1789年)物資を積んだ船を通じて、斜里アイヌから松前藩に対する正式な交易船の派遣願いが出されました。つまり、斜里場所開設の要請です。寛政2年(1790年)、宗谷場所から分設するかたちで斜里場所が開設されました。斜里場所の運営は、ロシア船による樺太、千島など各地で商船襲撃などで脅かされることとなり、北辺の警備が必要となりました。斜里場所にも津軽藩士100余名が派遣されました。陸行12日をかけて文化4年7月に一番隊が到着。しかし、初めての寒地での越冬に慣れておらず、布団や栄養の補給も充分ではなく、11月中旬にはほとんどが水腫病にかかり、70数人という多くの藩士が無念のうちに斜里の土と化してしまったのです。

開拓時代

明治5年、斜里郡の村名が定められ、ヤンベツ村、シャリ村、シマトカリ村など5ヵ村が誕生しました。明治10年には斜里村役場が設置され、斜里町農業開拓の先駆者と言われている鈴木養太が入地した斜里村赤上1番地で初めてこの地に開拓の鍬を打ち下ろしました。長い間漁業だけの利益に頼っていた幕藩時代から、新しい時代が徐々に息づいていました。

大正・昭和

大正時代の大きな変化は、電話架設でした。また、大正11年から工事に着手していた釧網線が13年に開通し、翌14年には待望の鉄道が斜里まで開通されました。現在の斜里町の基幹産業である漁業は戦後の漁田開発を中心に今日ある一大漁業基地をつくりあげたのです。昭和22年から公共事業で魚田開発が進められ、漁港施設の拡充などを積極的に進めることにより、サケ定置網漁業を中心に躍進を続けています。

自然保護

昭和39年、知床半島が全国で23番目の国立公園に指定されたことをきっかけに、知床の自然を町民全体で守るべき貴重な財産としての認識が深まりました。昭和52年には、国立公園内の民有地を買い上げ、知床の大自然を守ろうと、「知床100平方メートル運動」をスタート。この運動は、日本におけるナショナル・トラスト運動として、国際的にも高く評価されています。運動は平成9年に当初の目的を達成し、新しく「100平方メートル運動の森・トラスト」がスタートしました。

知床の豊かな自然を背景に、四季折々に美しく変化していく自然のぬくもりの中で、斜里町は、人・街・自然が調和していくまちづくりを進めています。

年表

出来事
寛永12年
1635
松前家臣村上掃部左衛門広儀、島内を巡行し斜里に来る。
寛政2年
1790
村山伝兵衛、斜里場所運上屋差配人となる。
文化4年
1807
ロシア船樺太各地を襲う。蝦夷地(北海道)全島幕府直轄となる。択提島を荒らしたロシア船知床半島近くに現われる。津軽藩兵100名斜里警備のため派遺された最上徳内が指揮をとる。 宗谷・斜里警備の津軽藩兵水腫病にかかり翌春へかけて死亡者多数におよぶ。
文化5年
1808
柏屋喜兵衛(後の藤野)ほか、共同で宗谷・斜里場所の請負となる。
文化12年
1815
宗谷・斜里場所藤野喜兵衛の単独請負となる。
文化14年
1817
藤野喜兵衛千島国後場所を請負う。
弘化3年
1846
松浦武四郎樺太探険の帰途、宗谷より枝幸・紋別・網走・斜里の各地に宿泊を重ね、知床半島突端に達し再び宗谷に戻る。
明治2年
1869
蝦夷を改めて北海道として11国86郡を定め、ここにはじめて北見国斜里郡となる。
明治5年
1872
斜里郡が根室支庁管轄となる。
斜里郡の村名が定められシャリ村、シマトカリ村、ヲネベツ村、ヤンベツ村、アヲシマイ村の5村が誕生。
明治7年
1874
開拓使雇技師ライマン知床半島鉱物資源踏査を行なう。
明治8年
1875
斜里・網走・紋別・枝幸・宗谷に郵便局が設けられる。
村名が漢字の斜里村・朱円村・遠音別村・止別村・蒼瑁村となる。
明治10年
1877
斜里村役場設置。
鈴木養太斜里赤上に入地、農業を始める。
明治12年
1879
斜里村ほか四カ村戸長役場を設ける。
知床硫黄積取りに蒸気船が来る。
明治13年
1880
北見国に網走郡役所が設けられる。
知床硫黄山大爆発する。
明治18年
1885
越川山道を開さく、根室と斜里を結ぶ。
斜里郡漁業組合の創立。
明治21年
1888
網走警察署斜里分署設置される。
斜里駅逓官設となる。
明治23年
1890
斜里川に共同鮭漁場として漁業権を受ける。
明治24年
1891
斜里市街でランプを使用しはじめる。
明治25年
1892
藤野家、斜里川の両端をはじめ目ぼしい漁場を経営する。
明治27年
1894
官設越川駅逓所開設。
明治29年
1896
鈴木養太赤上で水稲札幌赤毛種を試作。
明治32年
1899
栗原佐吉赤上で手廻りによる澱粉工場はじめる。
サラパ川上流に人工ふ化工場を設置。
明治34年
1901
斜里にはじめて定期船が寄港。
明治36年
1903
斜里川端に鮭、鱒の斜里共同缶詰所設立。
大正2年
1913
三井農場、内地府県から移民を入れて未開地3,000町歩の開墾に着手。
大正3年
1914
村内各地に農業移民入地激増。
大正4年
1915
二級町村制を実施。斜里・朱円・遠音別・止別・蒼瑁の5ヵ村を合併して斜里村と改称し各村を大字と改める。古田重静初代村長となる。
大正5年
1916
知床魚田注目されはじめる。
澱粉・豆類など全農産物好況。
木工場の創立が目立ってくる。
大正6年
1917
斜里市街地に電燈が灯る。このころ市街が山の上に発展しはじめる。
大正8年
1919
小清水村(現在小清水町)を分村。
大正14年
1925
釧網線 (現JR釧網本線) 網走~斜里間開通。
大栄・朱円・以久科で甜菜耕作はじまる。
大正15年
1926
越川に水力発電所できる。
商店街下町より上町に移る。
昭和3年
1928
斜里~札鶴間定期バス開業。
昭和4年
1929
釧網線(現JR釧網本線)斜里~札鶴間開通。
普通選挙法による第1回国会議員選挙。
昭和6年
1931
釧網線 (現JR釧網本線) 斜里~釧路間全線開通。
昭和7年
1932
殖民軌道斜里~チプドマリ間開通。
斜里商工会発足。
昭和10年
1935
斜里村市街大火61戸焼失。
昭和11年
1936
オホーツク海岸通過の皆既日蝕観測のため東大田中務博士、英国ストラットン博士など各国観測隊来村する。
斜里村経済五ヵ年計画樹立。
昭和12年
1937
秋の川水力発電所完成。
昭和13年
1938
国費による斜里川河口改修導水提工事着工。
根北線斜里・越川間工事竣工一部軌条敷設。
三井農場、養豚をはじめ食肉加工場を創設する。
昭和14年
1939
町制施行し斜里町となる。
昭和15年
1940
根北線工事中止。
昭和16年
1941
斜里実科高等女学校を創立。
昭和18年
1943
上斜里村(現在清里町)を分村。
ウトロ幌別間道路完成。
昭和21年
1946
民選による町長誕生。
昭和22年
1947
国民学校を小学校と改称。斜里・朱円・三井・東朱円・以久科・川上・宇登呂各中学校を開校。
昭和23年
1948
実科高等女学校が斜里高等学校となる。
昭和24年
1949
ウトロ漁港着工。
斜里第一・ウトロ両漁業協同組合創立。
越川・富士中学校開校。
昭和28年
1953
サルマ川を切替えて斜里川に合流。
オホーツク災害により当町漁家大被害を受ける。冷害凶作。
昭和29年
1954
昭和天皇・皇后両陛下斜里町へ御巡幸。
昭和30年
1955
斜里町史発刊。
昭和31年
1956
斜網集約酪農地域に指定される。
昭和32年
1957
根北線斜里~越川間開通。道道ウトロ・斜里線改修工事完成。
昭和33年
1958
道道ウトロ・斜里線にバス開通。
知布泊漁港工事着工。
ホクレン中斜里製糖工場創業。
斜里町80年・町制20年記念祭施行(町章制定)。
昭和34年
1959
ホクレン中斜里合理化澱粉工場創業。
斜里漁港起工。
斜里市街地内舗装整備。
昭和35年
1960
ウトロ漁港修築工事第1期工事完了。
昭和36年
1961
町立国保病院落成。
斜里大橋竣工。
消防庁舎新築工事竣工。
昭和37年
1962
道立斜里馬鈴薯原種農場設置。
上水道市街地竣工。
昭和38年
1963
開発道路ウトロ・ラウス道路工事着工。
知床岬灯台完成。
斜里川改修工事完成(17年着工)。
昭和39年
1964
知床半島23番目の国立公園に指定される。
斜里高等学校体育館完成。
農業構造改善事業開始。
昭和40年
1965
町内中学校統合事業開始。川上小学校移転新築校舎落成。
オホーツク霊園着工。
中央公民館落成。
中斜里市街舗装。
昭和41年
1966
町民公園着工。
国営土地改良事業斜里川左岸地区着工。
学校給食センター落成し給食開始。
町民水泳プール完成。
昭和42年
1967
斜里中学校体育館落成。
じん芥処理場完成。
土地改良左岸地区排水機場完成。
昭和43年
1968
総合庁舎完成。
斜里町90年・町制30年記念祭施行(町旗・町歌・町技・町花・町民憲章制定)。
昭和44年
1969
知床国立公園指定5周年記念行事実施。
斜里町史第2巻完成。
第1回斜里町民憲章推進大会開催。
昭和45年
1970
国鉄根北線廃止。
青少年文化センター完成。
しれとこ資料館、町立図書館オープン。
昭和46年
1971
地籍調査事業始まる。
斜里町総合計画スタート。
第1文光団地造成。
昭和47年
1972
三井小学校校舎全面改築し完成。
斜里町自然保護条例制定。
昭和48年
1973
沖縄県竹富町と姉妹町盟約を結ぶ。
津軽藩士殉難慰霊碑建立。
ウトロ香川台地に温泉湧出。
昭和49年
1974
特別養護老人ホーム「やすらぎの苑」開苑。
知床国立公園指定10周年記念行事開催。
全道自然公園大会がウトロで開催。
ウトロ小中学校校舎改築完成。
昭和50年
1975
5・18道東地方集中豪雨により町内に大きな被害。
道道知床公園線、国道334号線に昇格。
ウトロ小中学校屋内体育館完成。斜里高等学校校舎改築完成。
昭和51年
1976
老人福祉センター「ふれあいの家」オープン。
大栄小学校全面改築。
第2文光団地造成。
昭和52年
1977
しれとこ国立公園内100平方メートル運動スタート、全国に大きな反響を呼ぶ。
勤労青少年室内温水プール開設。
下水道施設整備事業着手。
昭和53年
1978
斜里町100年・町制40年記念式典(知床博物館建設・記念植樹・全道展移動展・町民写真展・文化講演会・タイムカプセルの埋設・農業発祥の地記念碑建立・町勢要覧記念号発行・記録映画制作など)。
斜里中学校校舎全面改築完成。
はまなす保育園を開設。3つ目の常設保育園となる。
町民憩の家建設。
昭和54年
1979
第2次斜里町総合計画策定。
来運小学校校舎改築。三井・越川小学校体育館改築。
新豊倉団地造成。
昭和55年
1980
国道334号線知床横断道路開通。
しれとこ100平方メートル運動第1次目標(120へクタール)達成。
斜里岳道立自然公園に指定(15番目)。
峰浜小学校校舎改築。
第1回しれとこ産業まつり開催。
昭和56年
1981
豊里小学校閉校。斜里小学校創立90周年。
台風12号(8月6日未明)により未曾有の大被害をうける。
昭和57年
1982
朱円小学校創立80周年。
町内に国設鳥獣保護区が設定される。
ウトロ地区消防庁舎落成。
B&G斜里海洋センターオープン。
知床100平方メートル運動5周年記念式典。あわせてシンポジウムを開催し、参加者全員でアピールを採択。日本のナショナル・トラスト運動に大きな影響を及ぼす。
昭和58年
1983
青森県弘前市と友好都市盟約を結ぶ。第1回しれとこ斜里ねぷた運行。
一般廃棄物処理施設(破砕埋立方式)完成。
通産省による石油資源開発探査作業を斜里沖で実施。
昭和59年
1984
以久料小学校新校舎落成。
国立公園指定20周年。
知床100平方メートル運動で環境保全功労団体として環境庁長官表彰を受ける。
昭和60年
1985
知床100平方メートル運動が緑化推進運動功労として内閣総理大臣表彰受ける。
昭和61年
1986
越川小学校開校70周年。
国保病院新築第1期工事完成。
公営住宅団地再生事業始まる。
知床100平方メートル運動ハウス着工。
国立公園内国有林択伐問題が全国的反響を呼ぶ。
昭和62年
1987
富士小学校閉校。
公共下水道終末処理場供用開始。
国保病院新築完成。
昭和63年
1988
川上小学校開校80周年。朝日小学校校舎完成し、新設開校。
斜里営林署45年の歴史にピリオド。新たに斜里営林事務所、知床森林センターが開庁。
知床自然センターオープン。
10月30日低気圧による暴風、波浪、高潮にみまわれ水産関係を主に大きな被害。
11月25日低気圧による暴風雨にみまわれ道路、河川、農地、漁具、建物等に被害。
平成 元 年
1989
斜里小学校校舎改築工事着手。
障がい者支援施設 日の出学園開校。
ウトロ地区字名改正。
平成 2 年
1990
斜里市街地町名地番改正。林野庁が知床国立公園内を森林生態系保護地域に指定。
平成 3 年
1991
ウトロペレケ新港一部開港。
平成 4 年
1992
第10回しれとこ斜里ねぷた運行。
台風17号による大雨で市街地が浸水。
平成 5 年
1993
沖縄県竹富町との姉妹町盟約20周年、青森県弘前市との友好都市盟約10 周年を記念し、姉妹町友好都市交流記念館を開館。
平成 6 年
1994
町鳥・町木制定。
知床国立公園指定30周年記念式典開催。
全町的なリサイクル事業がスタート。
北海道東方沖地震により液状化現象が発生。農業施設、下水道に大きな被害。
平成 7 年
1995
知床100平方メートル運動が(財)石川記念財団の山本有三記念「郷土文化賞」を受賞。
平成 8 年
1996
第5回環境自治体会議が斜里(ウトロ)で開催。
平成 9 年
1997
しれとこ100平方メートル運動目標額達成。100平方メートル運動の森トラストを開始。
平成10年
1998
斜里町120年・町制60年。
斜里町公民館 ゆめホール知床が10月10日10時10分10秒にオープン。
JR釧網本線 斜里駅 から 知床斜里駅 に駅名改称。
平成11年
1999
知床国立公園カムイワッカ地区で自動車通行規制始まる。
総合保健福祉センター ぽると21オープン。
平成12年
2000
知床横断道路開通20周年記念パノラマウォークを羅臼町と共催で開催。
容器包装リサイクル法に伴う新しいリサイクル事業がスタート。
朱円小学校開校100周年。
平成13年
2001
来運小学校閉校。
知床五湖駐車場有料化。
斜里高校弓道部インターハイ全国6位。
双葉保育園新園舎完成。
平成14年
2002
武田豊樹選手 米国ソルトレークシティー冬季五輪 スピードスケート500mで8位入賞。
ウトロ小中学校新校舎完成。
第20回しれとこ斜里ねぷた運行。
みどり工房しゃり開園。
100平方メートル運動25周年記念第20回ナショナルトラスト全国大会開催。
ウトロ地区下水道供用開始。
平成15年
2003
越川小学校閉校。
平成16年
2004
知床がユネスコ世界自然遺産に推薦される。
斜里高等学校が総合学科に学科転換。
斜里町史第3巻発刊。
平成17年
2005
平成18年
2006
合併により新しい「弘前市」が誕生したことから、友好都市を再盟約。
ごみ処理の有料化スタート。
平成19年
2007
道の駅うとろ・シリエトク(北海道登録99番目)、道の駅しゃり(北海道登録100番目)がオープン。
JR知床斜里駅リニューアル(駅舎改修、観光センター新築)。
新「やすらぎの苑」落成。
朝日小学校開校20周年。川上小学校開校100周年。ウトロ小中学校開校90周年。
平成20年
2008
斜里町130年・町制70年。泡盛「来運の泉」製造・販売。
以久科小学校開校100周年。
降ひょう被害発生(6月11日)。
平成21年
2009
知床しゃりブランド制度開始。
道の駅うとろ・シリエトク利用者100万人突破。
平成22年
2010
まちづくり基本条例(仮称)をつくる会発足。
三井小学校閉校。
平成23年
2011
斜里高校創立70周年。
大栄小学校閉校。
平成24年
2012
エコクリーンセンターみらいあーる完成。
第30回しれとこ斜里ねぷた運行。
斜里小学校開校120周年。
平成25年
2013
沖縄県竹富町との姉妹町盟約40周年。青森県弘前市との友好都市盟約30 周年。
泡盛「来運の泉」製造・販売。
ゆめホール知床開館15周年を記念して、斜里町手作りシアター実行委員会による町民劇「絆の祭り」を公演。
平成26年
2014
峰浜小学校閉校、103年の歴史に幕。
知床国立公園50周年記念シンポジウム開催。

▲このページの先頭へ